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ロベール1世 (西フランク王) : ウィキペディア日本語版 | ロベール1世 (西フランク王)[ろべーる1せい]
ロベール1世(フランス語:Robert Ier, ドイツ語ではロベルト1世Robert I,865年頃 - 923年6月15日)は、西フランク王国の国王(在位:922年 - 923年)。アンジュー伯ロベール(ロベール・ル・フォール)の息子で、888年に西フランク王となったウードの弟〔Detlev Schwennicke, ''Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten'', Neue Folge, Band II (Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, 1984), Tafel 10〕。 == 生涯 == ロベールはウードによってパリなどのいくつかの領地の統治や修道院の管理を任された。しかしウードが898年に死去しても王位は請求せず、カロリング朝のシャルル3世(単純王)の即位を承認した。その後も、ノルマン人の侵入からフランク王国北部を守った。 922年頃まで国王シャルル3世と有力家臣ロベールの間に深刻な対立はなかった。しかしシャルル3世がアガノン(en)を重用するようになると、ロベールは他の貴族達の支援も受けて兵を起こした。シャルル3世はロレーヌへ退却し、ロベールは922年6月29日にランスで西フランク王として戴冠した〔''The Annals of Flodoard of Reims, 916–966'', eds & trans. Steven Fanning: Bernard S. Bachrach (New York; Ontario, Can: University of Toronto Press, 2011), p.6-7〕。一方シャルル3世も簒奪者を討つべく兵を集め、両者は923年6月15日にソワソンの近くで会戦した。ロベール1世はシャルル3世を破りシャルルを捕えたが、ロベール自身は戦死した〔同上、p.7-8〕。伝承によれば、シャルル3世と一騎討ちをして敗れたのだという。 ロベール1世の一人息子ユーグは、カペー朝フランス王のユーグ・カペーの父である。
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